Dec 07, 2008

読みやすいwebデザイナー

インターネットはとにかく沢山の情報が垂れ流されてね。そして、その大部分はもちろん、文字情報だけのような文字情報をひたすら読むだけで、インターネットは使用が難しかったようですね。しかし、webデザイナーがいたです。 webデザイナーがあるため、インターネットの文字情報は、簡単に読むことができます。
Web制作においてSEO対策をどうするかが重要です。 Webの世界では、検索サイトからのアクセスがほとんどで、SEO対策をすることなく、Web制作を行なっても、ほとんど見てくれる人がいないという悲しい状況になってしまいます。個人の日記などのサイトではない場合は、検索サイトの上位表示を目的としたサイト作成をしなければ、サイトを運営していく意味も薄れてしまいます。
 「全体最適」という概念があります。個々の構成員と、その集合体としての組織や全体の仕組みがある時、個々の構成員にとってではなく「全体として最も価値が高くなる方法」を選ぶ考え方です。

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 最近よく聞くようになった「トリアージ」。大災害などで治療を要する人が大量に発生し、医療キャパシティがたりない時、専門の医師が治療の優先順位を考える手法のことです。

 優先して治療を受けるべしとされるのは、救急措置が必要な人など「治療の意味のある人」で、その時点で「手を尽くしても、すでに治療の甲斐がない」と判断されると優先順位が低くなります。そしてこの方法により、救える命の数は「全体として最大化」できるというわけです。

 もう1つの例は、倒産しそうになった企業を国が税金で支援すべきかどうかという判断です。りそな銀行や日本航空には国の支援が入りましたが、普通の民間企業が倒産しそうになっても税金での支援などありえません。ここでも「特定の企業に関しては、税金で救うことが国の経済全体の利益になる」という全体最適の理屈が使われ、国の支援が正当化されています。

 この「全体最適の考え方」は決して自然な思考ではありません。一番自然なのは「自分最適」(個別最適)です。子どもは全体最適なんか考えません。目の前にお菓子が4個あって人が4人いても、自分が食べたければ全部食べます。

 一方、「最も栄養が必要な人にまず与える」という考え方、例えば、遭難しているボートの上だと「最初に漕ぎ手に配分する」という考え方は、後天的に学んだり教え込まれたりして、「結果として、そうすることが全員の利益になる」と判断したから、そうするわけです。

 私たちは、この「全体最適で考えることは良いことだ」という感覚を、いつどこで学ぶのでしょう?

(1)仕事を通して、全体最適が合理的な思考であると教えられる

 家庭で「全体最適で考えなさい!」としつけを受けた人は多くないでしょう。また、学校でもそんなことは教えていません。

 成績のいい子が学芸会の研究発表を担当し、運動神経のいい子が運動会で多くの種目に出場し、作業が丁寧な子どもが給食係になれば全体最適ですが、学校ではまったく逆です。全員で同じ勉強をし、運動会では全員何らかの競技に出ろと言われ、給食係も全員で分担すべきというのが、学校の理屈です。

 ところが会社では、明らかに「全体最適で考えるべき」と指示されます。自分の営業成績や自分の部署のことだけを考えていると「身勝手、セクショナリズム」と責められ、「視野が狭い」と言われます。「全体最適を考えられる人こそ、昇進すべき人」というのが企業社会の考えです。

 会社が家庭や学校と違うのは、「組織のアウトプットの最大化」が使命であるということです。企業というのは、そもそもが個人ではなく組織の利益を増大させるための仕組みなので、個々の構成員はみんな「自分の利益よりも全体最適を考えろ」という話になるのです。

(2)価値観として“全体最適は尊い”という考え方が存在する

 企業は「アウトプット最大化のために、個の利益を犠牲にするのは合理的である」という考え方ですが、それとは別に「全体のために個を犠牲にする行為は尊い」という価値観も存在します。

 日本では、この「個々人の欲望を全体のために抑制すること」を是とする考え方や、「自己犠牲をするのはエライ!」「自己抑制をすることは美しい!」という価値観があり、「全体最適で考えないなんて身勝手である」という感覚さえ存在しているように感じます。

(3)「全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している

 例えば、銀行の経営者が「銀行に公的資金を入れるのは日本経済全体のためになる」、と主張するのは「全体最適=自分最適」ですよね。これでは「全体のことを考えているように見えても、実は単なるエゴでは?」という気がします。

 世の中には、全体最適で考えると「自分の人生において一度も得をしない人」もいるのではないでしょうか。そういう人にとっては、常に我慢をさせられて、イザという時に自分を助けてくれない全体最適という考え方は「詐欺的な理屈」に思えても不思議ではありません。

 理屈では「全体最適を追求すれば、特定の個が常に得したり常に損したりすることはない」というのが前提です。しかし、実際には「かなりの確率で得する個」と「かなりの確率で損ばかりしている個」に分かれているようにも思えます。

 すると、「かなり得しやすい個」は「全体最適で考える人」になり、自分は常に「犠牲側」もしくは「メリットが少ない側」に置かれるという経験則がある人にとっては、全体最適を受け入れがたくなるでしょう。そしてその「かなり得しやすい個」が社会の指導層にいれば、その社会全体で「全体最適で考えるべきだ」という思想が啓蒙されます。そういう意味では全体最適というのは一種の「強者の理論」なのです。

 例えば、コストが安く大量の電気の安定供給ができる原子力発電所を設置することは、国全体のエネルギー政策としては「全体最適」だったのかもしれません。また、原発の立地を選ぶ時に、「地価が安く、人口密度の低い地域」に設置することも「全体最適」としては正しい考え方だったのでしょう。しかし、原発が設置される付近の住民や自治体が、その理屈を受け入れないことも、必ずしも責められるべきことではない、ということなのです。

 そんじゃーね。

著者プロフィール:ちきりん

兵庫県出身。バブル最盛期に証券会社で働く。米国の大学院への留学を経て外資系企業に勤務。2010年秋に退職し“働かない人生”を謳歌中。崩壊前のソビエト連邦など、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。著書に『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』がある。特別企画 SSLは価格♪、にも対応Twitterアカウントは「@InsideCHIKIRIN」


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